漆黒リボンは終焉に舞う【1】
暗雲立ちこめる物々しい神殿前で、桜色の淡いシフォンを多量に使ったコスチュームを纏った美少女と、紺青のマントで身を包んだ背の高い男が向かい合っていた。これが最後の戦いになる事を互いに承知している。そんな全てを悟ったような静けさが二人の間には流れていた。
どうやって、男を仕留めようか。
僕の頭はそればかりを考え、何度も美少女の身体を脳内で動かしイメージした。僕の思考をトレースして動く美少女は、もはや自らの意思など持ち合わせてはいない。
ぱっちりとまばたきをする大きな蘇芳の瞳も、豊満な胸元で揺れる赤茶の髪先も。それこそ頭から爪先まで、僕の意のままに動く美少女。現実離れしたその愛くるしさを全て手中にしたようで、気分は悪くない。それが例え、心のない人形と同義だったとしても。
構えの姿勢を崩さず、男と目を合わせたまま、美少女の身体は呼吸をする度に大きく上下した。
一方男は余裕の表情で不敵な笑みすら浮かべて微動だにせず美少女を見下ろしている。
美少女は、右腕をだらりと降ろしそれを左手で支えながら、立っているのがやっとだった。戦闘には不向きに思えるミニスカートは所々破れ、真っ白な太股が覗いていた。それが先刻与えられたダメージの強力さを物語っていた。
感傷に浸っている場合ではない事は百も承知だが、時折、考え込んでしまう。この状況は、美少女が望んだ事なのだろうか、と。僕のような只の人間の意識下で動く事が、美少女の本望だったのだろうか、と。
それでも、僕達はこの戦いを続けなければならない。
そろそろ、時間だな。
僕はふうっと息を吐き、それから大きく吸い込んだ。いつまでも睨み合っていてもこの局面は変えられない。それにこれ以上待った所で、一向に美少女の体力が回復する気配はなかった。
早くこの不毛な戦いを終わりにして、束の間だとしても休息を与えてやりたい。またすぐに次の戦いが待ち受けているとしても、美少女が自分本来の意思で動く時間がもしあるのならば、それを大切にして欲しかった。
そんな僕のささやかな願いに応える一陣の風が吹いた。
それを合図に美少女は走り出す。一目散に、マントの男を目指して。
しかしそれも全て、僕の意識が美少女とリンクして下している指示だった。
男の懐に入り込む。腹部を狙って力一杯の一発。
よし、入った。
男が躊躇った所をそこから三段蹴りに繋げる。
これも見事に決まった。
衝撃で大きく後退した男と間合いを取り、美少女の身体に気を溜めさせる。
数秒で充分だった。
準備完了。
……これで終わりだ!
そう念じた瞬間、美少女の身体が光り輝き始めた頃、物凄い勢いで僕の身体は前のめりになった。
何が起こったのか、咄嗟には判らなかった。
只、背中に鈍痛が走った事だけは確かだった。
僕が自分の身体の痛みに気を取られている隙に、美少女の光は消え去った。しまった、と思ったが全ては後の祭り。ガードする暇もなく、男の強烈な右フックが美少女を捉えると、美少女は大袈裟な程に大きく吹き飛ばされ地面に叩き付けられた。
そしてそのまま、顔を横に向けぴくりとも動かなくなってしまった。
僕は、美少女が目の前で敗北する様をを呆然と見ている事しか出来なかった。
「ふざけんなっ」
僕は力任せにテーブルを叩いた。今まで繰り広げられていた戦闘は終了した。目の前の大きな画面は真っ暗になり、その中央に赤い文字でコンティニューを訊ねるカウントダウンが始まる。僕は急いで制服のポケットを弄ったが、残念ながら百円玉はもう使い切ってしまっていた。
やがてカウントがゼロになり、美少女の悲痛な叫び声と共に、ゲームオーバーが告げられた。
「ふざけんなよっ」
今度の矛先はゲームオーバーにではない。今さっき、現実世界の僕に攻撃を加えてゲームオーバーにさせた奴に対しての怒りの言葉だった。
僕は辺りを見回した。しかしどんなに目を凝らしても、この古ぼけたゲームセンターには僕以外の人影はなかった。店員の姿すら見当たらない。
おいおい、大丈夫なのか、この店は。
思わず心配になってしまう。しかしまあ、こんな寂れたゲーセンで何か事件が起こるとは考え難い。客も殆どいつも僕くらいしか居ないのだから、人件費削減対策をとっているのかもしれない。
あの時、最後の一撃を決める直前に何かが僕にぶつかった。ぶつからなければ確実にコマンド入力は終了し、美少女の最終奥義であの男を打ち負かしていたはずだった。起死回生の美しい逆転劇になるはずだったのだ。
ああ、思い返せば返す程、怒りは沸々と湧き上がってくる。
格闘ゲームマニアの僕は、こうして毎日学校をサボっては決まってこのゲーセンにやって来て、一日一度は全ステージクリアしていた。そのくらいの腕前はあると自負している。
使うキャラはいつも同じで、例の美少女キャラクター。パワー不足は否めないが、素早さなら誰にも負けないのが魅力的だ。しかしどんな理由をつけようが、結局の所は可愛い女の子が戦う姿を見たい、という思いが強かった。傷付きながらも懸命に戦う美少女、というのは男のロマンだと僕は思う。
毎日毎日、よくもまあ飽きもしないで続けられるな、と自分に感心すら覚えるが、格ゲーは僕の中で極めて大きな割合を占める重要なライフワークなのだった。それをこうも見事に邪魔されたのでは心中穏やかではいられない。
しかし犯人を見つけ、取っ捕まえて謝罪させる程の気力を僕は持ち合わせていない。そんな面倒臭い事を自ら進んでしようだなんて、正気の沙汰とは思えない。それでもやはり僕の背中にダメージを与えた、心にはクリティカルを与えた相手の顔くらいは拝んでおきたかった。
もう一度、店内を見渡す。
相変わらず誰もいない。
やはり店員の姿さえ見当たらない。
そう思っていたゲーセンの奥に、人影が、見えた。
何年も前のものなのではないかと簡単に疑える程、古いプリクラ機。その中から、カーテンを捲って女の子が出て来た。
遠目なので良くわからなかったが、黒髪を後頭部でひとつに結んだごく普通の真面目そうな女生徒に見えた。
絶対に、何処かで逢った事がある……
デジャヴを感じた。もしかしてこれって、運命の出逢いってヤツなんじゃないだろうか。
と思ったが、答えは至って簡単だった。着ている制服が、僕の通う高校と同じ制服なのだ。僕は自分の夢見がちな馬鹿らしい思考回路に呆れた。
あの女の子とは、学校の何処かで何度かすれ違っていたのかもしれない。あるいは、クラスメイトなのかもしれない。クラスメイトかどうかすらも曖昧な記憶でしかない事が、僕の高校への関心の薄さを表していた。
後続を待ったが、いつまで経っても誰かがプリクラ機の中から出て来る気配はなかった。女の子は一人きりのようだ。
一人でプリクラなんて淋しい奴……
僕がそう視線を向けていると、そんな事には少しも気付かずに女の子は学生鞄を床に置いてさり気なく腕組みをし、プリクラ機の前でじっと立ち続けていた。プリントされるのを待っているのだろう。胸の前で組んだ腕が妙に威圧的だった。まるで、プリクラ機を威嚇しているようにも見えた。
他に誰かいないかと、店内を見回す。しかし女の子の姿以外はなく、結論から言えば、この女の子が僕の背中に鈍痛を走らせた張本人である、という事になる。恐らく、凶器はあの床に置かれた学生鞄だろう。ずっしりと重そうなそれが力一杯背中に当たれば、そりゃあ痛いに決まっている。実を言うと今もまだ、背中にはじんじんと痛みが残っていた。
こっそりと女の子を盗み見ていると、プリクラが出て来たらしく、その場にしゃがんで何かごそごそと鞄を漁っていた。
そうして女の子が取り出したのは、黒色の鋏。
女の子は立ち上がり、プリクラと思しき紙切れへ慎重に鋏を入れる。と、思いきや、ざくざくと紙切れを縦横無尽に切り始めた。その光景は切る、などという生易しいものではなかった。一心不乱に切り刻んでいる、というのが正しい表現のような気がする。
女の子の足元にバラバラと紙切れが舞い落ちる。僕はそれをあっけに取られて見つめていた。今さっき撮ったばかりのプリクラを切り刻む女の子の姿は、異様と言う以外にどう説明したら良いのか僕には見当も付かなかった。
呆然とその光景を凝視していると、さすがに僕の視線に気付き、女の子はむっと険しい顔をした。
こちらを向いた女の子は、やはり何処かで見た覚えのある顔だった。けれど、どうしても思い出せない。確かに、僕が良く知っている人物のような気がするのだが……
僕はもう一度、まじまじと女の子を見つめる。
小柄で華奢な身体は濃紺のセーラー服に包まれ、その黒髪のせいもあってか何処か影を背負っている印象を受ける。その中で健康的な色の肌と臙脂のスカーフが妙に浮いていた。もし女の子が一言も発しなければ、葬式に参列した帰りのようにも見えた。しおらしく大人しいイメージ。が、凛と張り詰めた第一声でそんなイメージは尽く崩れ去った。
「何、見てるのよ」
ぴしゃりと放たれた一言。鋭いアイスピックで首の後ろを突き刺される感覚が僕を襲った。
「いや、特に見ているという訳では……」
いや、実際見ていたんだけども。
明らかな言い訳は女の子を逆撫でしてしまったらしい。女の子は更に厳しい顔付きになって僕の声を振り切るように、鞄と、紙吹雪と化したプリクラを床に置いたままこちらへ向かって歩いて来た。
「いいえ、確実に見てた。今。あたしの事見てたわよね?」
ずい、と至近距離まで顔が近付く。僕はしどろもどろになり、何も言えなくなる。
女の子の顔が、はっきりと見えた。
すっとした細みの輪郭に柔らかそうな頬。桃色の薄い唇にどぎまぎする。きりっと三日月の美しいアーチを描く眉は、意思の強さを象徴している。整ったその顔の造りは、僕がさっきまで操っていたあの美少女キャラクターを彷彿させた。
そして、真っ直ぐに何の迷いもなく僕を見つめるその漆黒の瞳は、深い闇を連想させる。
捕まったら二度と戻って来れなくなりそうな程の、深い闇。
僕はその視線から逃れようと、顔を背けて女の子を意識しないように精一杯の言葉を発した。
異性とこんなに接近したのは、小学校のフォークダンス以来かもしれない。いや、異性だけではない。他人に此処まで近付くのを許したのは、本当に何年振りかというレベルだった。
そのせいか、余計に意識してしまい自分の顔が真っ赤になっているのを感じた。それが只の自意識過剰だとわかってはいても、体温が上がっていくのを止められなかった。やっとの思いで僕は声を絞り出したのだった。
「それ……勿体無くないのかと想って」
「それって?」
「プリクラだよ。さっき、君が、その……」
ああ、と全ての謎が繋がり納得した表情で、あっけらかんと女の子が続けた。
「切り刻んでたヤツね」
「そう」
そのあまりにも潔い態度は見ていて清々しい気持ちになる程である。
「いいのよ。自分の分は確保してあるし、誰かにあげる為に撮ってる訳でもないから」
女の子は僕の目の前で再び腕を組んだ。そこには謙虚さの欠片も見当たらず、人を見下すような高圧的な雰囲気を醸し出していた。
「欲しかったら、あげるわよ。あたしのプリクラなんてかなりレアだから、持ってたらいいことあるかもよ」
そう言って女の子は一旦プリクラ機の前に戻り鞄を手にする。そして、散らばった紙吹雪の中からいびつな形に切り取られたプリクラの一片を掴むと、再び戻って来て僕に向かって突き出した。僕は抵抗する事も出来ずに、只彼女の思惑通り、それを受け取った。
「じゃ、また、逢いましょう。澤サン」
「え、どうして僕の名前……」
弱々しい僕の声など耳に届いていないようで、女の子は颯爽と歩いて出口へと向かっていった。その顔には、先程までとは反対の満足そうな笑みが浮かべられていた。
「あ……」
僕は思わず小さく声を上げた。ゲーセンの自動扉から外へ出て行こうとするその後ろ姿には、見覚えがあったのだ。
短めのポニーテールに、髪より更に長く腰まで垂れ下がった漆黒のリボン。
特徴的なその後ろ姿を改めてじっくり見て、僕はやっと気が付いた。
彼女は同じ学校、隣のクラスの有名人、上条舞嘉だった。
彼女に関する伝説と呼ばれても良いくらいの噂は尽きる事なく、普段学校で殆ど会話らしい会話をしない僕ですら彼女の事を知っているくらいだ。その中にも確か、一人でプリクラを撮る謎、という怪談めいた噂があったような気がする。僕はその噂の貴重な証言者となった訳だ。
しかし有名だからといって人気者であるかというとそうではない。寧ろ、彼女は好奇の目に晒される事はあっても近付こうとする者は一人も居なかった。その理由までは、僕には判らなかった。
こんな古ぼけたゲーセンで一人プリクラを撮ってはそれを切り刻むという心境は僕には理解出来なかったが、僕がこうして毎日此処で格ゲーをしているのと、案外、似ているのかもしれない。
そんな事をふと想ってから、首を横に何度も振った。
色々考えを巡らせても仕方が無い。僕自身の気持ちすら良く理解出来ていないのに、他人の気持ちなんて判りっこ無いのだ。勝手に詮索されては彼女もさぞかし迷惑がる事だろう。そう思い直し、僕はプリクラを手にしながら彼女の後ろ姿を見送った。バラバラにされて床に散らばったプリクラと共に、なんだか取り残された気分だった。
まあ、もう、二度と関わる事もないだろうしな……
そう想っていた当時の僕の甘さが、彼女をマイカと呼ぶようになる頃には涙が出る程懐かしく感じられる。その事を僕はまだ当然、知らなかった。
to be continued……