漆黒リボンは終焉に舞う【4】
正直な所、一体今何が起こったのか、全く理解不能だった。
斜め後ろ、コンクリート塀の上、悠然と立っているマイカの存在だけが僕に残された現実だった。
襲ってきた女も、瑠璃色の光も、女から出て来た黒い影も、皆、綺麗さっぱり消えてしまった。
あれが全て夢だったと言われたら、それを信じるしかないだろう。いや、寧ろそうであって欲しいと願って止まない。僕は誰かに、そう告げて欲しかったのかもしれない。そしてその誰かが誰なのかなんて、この場合明白過ぎる。
僕は上条舞嘉、いや、マイカにそう告げて欲しかった。漆黒のリボンを優雅に操っていたあの姿を思い出しながら、僕はマイカを仰ぎ見た。
全ての元凶がマイカであると、その時僕は確信していた。
けれど、認めたくなかった。信じたくなかった。僕にとってマイカという存在は、危機から救ってくれた特別な力を持つ不思議少女、マイカではなく、ただの隣のクラスの風変わりな女生徒、上条舞嘉のままであって欲しかった。だが、そんな願いは虚しくマイカの横柄な口の利き方に消し飛ばされた。
「ちょっと、澤サン。あたしの大活躍のおかげで助かったんだから、もっと嬉しそうな顔しないさよね」
その一言で僕は、さっきまでの出来事が現実に起こった事であると認めざるを得なかった。
やはり、僕の身に降り掛かったあの一連の出来事は夢なんかではなかったのだ。マイカの言う『大活躍』という単語が、それを物語っていた。
そしてその次に発せられるマイカの言葉に、僕は驚愕を受ける事となる。
「ま、全てはあたしの作戦通り、なんだけどね」
誇らし気に胸を張るマイカは、褒めて頂戴とでも言いた気な得意の表情で僕を見下ろした。
それから、セミロングの黒髪を無造作に頭のてっぺんでまとめると、右腕に巻いていたリボンで器用に縛り始める。一巻き、二巻き……くるくると何回か巻き付けるとマイカは最後にリボンをきゅっと強く結ぶ。その慣れた手つきは、まるで魔法でもかけたようにマイカの髪型を変えていった。
マイカは髪を結び終えると小さな声で、よし、と呟き瞳を光らせ、スカートを片手で抑えながら塀の上から飛び降りて来た。その拍子に白い太腿が露になり、僕は一瞬どきりとした。
って、え、ちょっと待て。どきりとしている場合じゃないだろう、今は。
僕の隣にふわりと舞い降りて来たマイカが、固まる僕に怪訝そうな視線を送る。しかし、僕はそんな事にはお構い無しで、自分の思考を整理するのに精一杯だった。
次々と脳内再生される今までの記憶。
女の登場。攻撃。瑠璃色の光。マイカの登場。会話。瑠璃色の光。漆黒のリボン。女から出て来た黒い影。影に呑まれた女。女を呑んで消えた影。闇夜を仰ぐマイカの横顔。
それら全てが、まさか――
「……作戦通り、って、どういう事だよ……?」
回答の見えている疑問はとうとう声になって、動き出した夜の街に響いた。
しかし、そんな僕の言葉に答える素振りも見せずに、マイカは歩き始めた。真っ直ぐ前を見つめる凛とした横顔がすうっと僕から離れて行く。僕は焦って、マイカに並ぼうと小走りになった。が、足早に歩くマイカの隣にはなかなか並ぶ事が出来ない。マイカに半歩遅れる感じで、僕はすっかり闇に包まれた街を進んでいった。
人通りの少ない裏路地を抜けて、交通量の多い大通りに差し掛かった。さっきまで居た場所とは違い人が絶え間なく行き来する歩道で、マイカはその歩みを緩める事なく淡々とした口調で、ようやく解説を始めてくれる気配を見せた。
「澤サンが何を思っているのか良くわかるわ」
それならもっと早く説明をしてくれ、と言いたかったがそこはぐっと堪えた。機嫌を損ねでもしたら、何も告げられないままに僕とマイカはそれっきりさようならになってしまう気がしたからだ。僕はこの短い時間の間で、マイカという人間がどういう性格なのかを掴みかけていた。
「まあ、兎に角、あたしはさっき見た通り、あんまり普通とは言えない人種な訳よね。人間なのかさえも、疑問視せざるを得ないけれど。つまり普通じゃない人間が、普通じゃない敵と戦っている。普通である澤サンには関係のない世界よね。簡潔に言えば、そういう事」
「はあ」
なんとも簡潔な説明だった。出来事の大筋はきちんと捉えており、必要最低限の言葉しか使用されていない。けれど、いくらその説明が模範解答であったとしても、僕はそれだけでは納得いかなかった。だって、僕はもうすでに――
「でも僕、もうマイカと関係ないとは言えない立場なんですけど……」
一瞬、マイカがちらりと僕を振り返った。相変わらず、歩く速度は落とさないままだった。けれど、その時見えたマイカの戸惑ったような、でも嬉しそうな表情は、僕の見間違いなんかではなかった……はずだ。
「問題は、そこね」
気を取り直したようにまた前を向くと、マイカは強気に話を進めた。
「巻き込んじゃって悪かったとは思っているのよ、これでも」
本当に?
と、思わず訊ねたくなってしまう程、マイカの態度は尊大だった。
「ただ、ちょっと試してみたかったの。相手が、囮作戦に引っ掛かるような馬鹿なのかどうか」
淡々と話を進めるマイカの揺れる短いポニーテールを眺めながら、僕はその後ろ姿を追った。
「まあ、まんまと引っ掛かってくれたけどっ。あたしの完全勝利だったわよね」
うんうん、と一人納得して自分の世界に入り、マイカは会話を終わらせかけていた。というか、僕の存在を忘れかけていた、と言った方が正しいのかもしれない。
あの時の勝利の味を噛み締めている、戦闘の余韻に浸っているマイカ。
その状態から僕は話の本筋にマイカを引き戻す。
「……で? どうして僕が囮にならなくちゃいけなかった訳?」
自分の世界を邪魔されて若干不機嫌そうだったが、マイカは僕を無視する事なく歩き続けながら応えてくれる気配を見せ、何やら考え込んでいるようだった。
なんだかんだ言っても、きちんと会話は続いていた。そう言われれば、ついて来るなとも言われていない事に、今更ながら気が付いた。案外、話を聞いて貰える相手が出来てマイカもまんざらではないのかもしれない。などと言ったら、自惚れるんじゃないわよ、なんてぴしゃりと言い放たれそうだけれど。
「そこの説明は少し難しいんだけど……澤サンならあたしの力に耐えられると思ったから、かな」
「マイカの力って何なんだよ。あの、瑠璃色の光の事?」
「ご名答」
得意気にふんぞり返るマイカを見て、僕は何故だか微笑ましい気持ちになった。けれど次の瞬間、さあっと波が引くように真剣な声色でマイカは呟いた。
「一応、保護シールド張って様子見たけど、その必要もなかったかもしれないわね」
「え?」
「普通の人間はね、あの光を見ただけで頭おかしくなっちゃうのよね。具体的にどうなっちゃうか、知りたい? 結構精神的に来るかもしれないけど」
僕はぶんぶんと大きく首を横に振った。その仕草はマイカには見えていないはずだった。しかしマイカはきちんとそれを察してくれていたらしい。それが正常な反応とでも思っているのか、僕の思考なんてもうとっくにお見通しなのか。
「でも、澤サンはならなかった」
マイカはすらすらと呪文を唱えるかのように、話を続けた。僕の返答は、期待などしていない。
「普通にしてるどころか、あたしに向かって叫んだりもしてたわよね。それって本当に凄い事なのよ?」
「わかったよ。僕が普通じゃないから囮に選ばれたっていうのも、まあ納得する。でも、どうして僕ならマイカの力に耐えられると思ったんだよ?」
「それは、此処のおかげね」
ぴたっと、マイカはその足を止めた。それは本当にいきなりだったので、僕は危うくマイカに激突しそうになった。
立ち止まったマイカはそのままくるりと方向転換して、僕の方を向く。いつか見た事のある、満面の笑みを浮かべていた。なんとなく、僕は察していた。こういう表情をする時のマイカは、絶対に何かを企んでいる。そうに違いない。
マイカの背後には、煌びやかな電飾で彩られた大きな看板が見えた。
「……ゲーセン?」
「そう」
そこは、街の中心部にある一番大きなゲーセンだった。こんな所まで、と僕は溜息を吐いた。三キロはあるだろう道程を僕らは時折会話しながら、気付けば歩いて来たのだった。通りで若干息も上がっているはずだ。それに普通の徒歩の速さではなかったせいもある。徒競走に近い速度で僕らは街を抜けて来たという訳だ。
「あたし、澤サンにプリクラ渡したわよね?」
「ああ、あれ……って、何処にやったっけかな」
僕は制服のポケットに手を突っ込み、マイカに渡されたプリクラを探した。そんな僕を呆れ顔で見つめるマイカの視線があまりにも痛くて、すぐに思い出した。そういえば、あの時――
「もう、燃えちゃったでしょうね。あれだけの強い光の発信源になっていれば」
「そう、そうだ。あのプリクラが急に輝き始めてそれで瑠璃色の光が……」
思い出して興奮気味に喋り出した僕を制して、マイカは冷静に解説をしてくれた。
「そうね。あのプリクラにはあたしの力が込められていたの。だから、普通の人間なら触っただけで異変が起こるはずなのよ」
そ、そうだったのか。
異変と一言で片付けられてしまったが、一体どんな異変が起こるのか気になる所だった。しかし、そこまで突っ込んで聞き出す勇気は僕にはなかった。昔から、本当にあった怖い話系は全般、苦手なのだ。
「でも、澤サンはあれに触れてもなんともなかった。だから、賭けてみたって訳」
自信に満ち溢れた顔でマイカはにやりと不敵に笑みを浮かべた。
「じゃあ、どうして僕にプリクラを渡したんだ? 別に違う奴でも良かっただろう?」
更に、優しく微笑むマイカ。その微笑みの奥に潜んでいる、黒いものが見え隠れする。僕は悪寒が走るのを感じた。嫌な汗までかいてきた。マイカのその笑顔には、やはり闇の力が込められているように思われる。
だからきっと、こんなにも闇夜が似合うのだろう。華やかな笑顔ではないと感じられるのはそのせいなのかもしれない。
「その通りね。それは、たまたま偶然、澤サンが其処に居たから。あそこに居たのが違う誰かでもあたしは別に構わなかったのよ。ちょっと、実験したかっただけから」
「そりゃあまた、随分と……適当だったんだな」
「やだ、もしかして……」
マイカはぐっと拳を握ってみせ、僕の前に突き出した。そして。
「自分は特別に選ばれた人間なんだ!」
そう叫ぶと、大通りを歩く人々の注目が一身に浴びせられた。しかし当の本人はそんなの全くお構いなしで、拳をきゅっと胸元に引っ込めると、
「……みたいな勘違いしちゃってた?」
くすくすと面白そうに絶え間なく笑った。
僕は、顔が耳まで赤くなるのを感じた。今までのマイカの説明を総合してみて、そう思わない人間の方が少ない気がするのは僕の気のせいなのだろうか。それとも、僕の自意識過剰なのだろうか。
「とりあえず、入りましょう。セーラー服って意外と寒いのよね」
すたすたとゲーセンの入り口に向かって歩き出すマイカの後ろを、僕は急いで追いかけた。目の前で黒いリボンが揺れる度に、面倒な事に巻き込まれたものだなと溜息を吐きたくなったが、同時にマイカとこうして一緒に居られる事を思うと、何故だかそっと顔が綻ぶのだった。
to be continuted……